おいでよクラシカロイドの沼

クラシカロイド 感想。私(ナジェージダ)、ミーチャ(相手方)の座談会形式で行います。よろしくお願いします。

クラシカロイド 1期21ー25話感想

21話「ブレイク・スルー」

ナジェ「ああ、やっちゃったよ、公式がシューさんに自殺未遂させちゃったよ。数あるクラシカロイドのギリギリのネタの中でも、これは「限りなくアウトに近いアウト」だね」

 

ミーチャ「確かに。後半のシューさんの覚醒を促すためなんだろうけど、前半のみんなのシューさんへの風当たりはきつすぎるよ。ショパン、小屋持ちのハッシーと比べたんなよ。虚しさが増すだろうが。それにムジーク対決でも思ったんだけど、問題解決に直接役に立ちそうなムジークってやっぱりベトの「田園」ぐらいしかなくて、他はみんな気まぐれと勢いで出して周囲に迷惑を及ぼしているから、ムジークを制御できないシューさんとはどっこいどっこいだと言えるよ。むしろ悪気のある使い方ができないだけシューさんのがまだマシだよ(後の2期9話ではショパンが完全に攻撃のためにムジーク使っているけど、このことの方が悪いと思う)」

 

ナジェ「そして高層ビルから飛び降りようとしたところを、間一髪、凧に助けられる。あの凧もクラシカロイドなんじゃ? そしたらあの耐久性にも説明がつくし。なんかシューさんを神のごとくに尊敬していた音楽家っていなかったっけ? シューマンメンデルスゾーンブルックナー、ヨハンシュトラウス2世だっけ?」

 

ミーチャ「アメリカのヤンキーが集まる通りで、音羽博士と出会うシューさん。「存在意義なんてものはない、好き勝手生きればいい」なんてセリフ、倫理観もガン無視する音羽博士が言うと超説得力あるぜ! アメリカになぜか屋台があり、おでんにアボカドが入っていたのが腹筋にダメージを与えたわw」

 

ナジェ「シューさんが不在になっても誰も気にも留めないのは、2期まで続くお約束のようだよね。怒ったシューさんがシューベルトの魔王道」を発動! これ、ヒップホップなのにリズムが簡単で、カラオケで歌うと死ぬほど楽しいんだよね。歌詞もキレッキレ! 「このチャンネルには谷間は無しだ!」一回言ってみたかったわ。あと、奏助のところでピー音発生させるのやめろ、モツの同じ穴の狢だぞ! CD版ではそんなに際どいこと言ってないのにね」

 

ミーチャ「効果はアメリカのヤンキーが描いたみたいな壁絵にするというものだけれど、俺はああいう絵、好きじゃないな。壁絵のみんなが戯れるシーンで、歌苗がずっとシューの横に侍らされているのがじわじわきたくらい。

 あと、最後シューさんが土下座させられているのもいただけないな。せっかく開発した、正真正銘お前だけのラップムジーク、もっと誇りを持っていいんだよ」

 

 

22話「ちがいのわかるおとこ」

ナジェ「ついにNHKが(昔のとはいえ)CMネタ出してきたぞ。ムジークもネスカフェっぽいし。大丈夫かNHK!?」

 

ミーチャ「前半は割と面白かった。いきなり飲み物論から始まったときは一体なんの番組だと思ったけど、ベトさんがコーヒー60粒にこだわっていた、という史実を引き出すためのものだったんだね。勉強(?)になるよ」

 

ナジェ「今回のテーマは「大人気ない大人って怖い」。コーヒーを飲む最高の場所がパンダの乗り物の上だって判断するベトの感性もさることながら、その占有を巡って子供達と1対50ぐらいのドッジボール対決するのがまたなんともw あとリッちゃん、NHK土曜日の夕方の番組で、(番組の時空で)朝っぱらから酔っ払って帰ってきちゃダメ! もう少しでNHKでゲロを放送することになってたよ!」

 

ミーチャ「しかし後半がね。ベトさんが高級コーヒー豆を歌苗ちゃんにねだる展開があったから、てっきり「豊穣の夢〜エリーゼのためにより〜」で愛を伝えるのかと思っていたのに、とってつけたようなムジーク発動……。しかも、コーヒーが美味しくなるって効果? なんかとってつけたような感じだよ。20話のモツのムジークもそうだけど、1期後半から、ムジークにわかりやすい「超能力」としての効果が消えて、ただの幻覚に近いものになってしまうんだよね。ちょっと残念。曲としても、アレンジが真面目すぎて(絵柄とあってないw)ちょっと寂しかったな。せっかくの有名曲なのに」

 

 

23話「八音の世界・前編」

ナジェ「オクトヴァアルファで、クラシカロイドを除く世界中から音が消え去り、動揺する一般人たち。その後バッハのムジー「Funk 稲妻っ!〜無伴奏チェロ組曲より〜」が流れて人々は安堵する。洗脳の手口みたいでいいね! それに続く、全人類のバッハ化。展開の一つ一つがコメディ系のSFみたいで、見ていてワクワクした。幼稚園児がサングラスとカツラつけて音楽用語口走っているのには吹いたw」

 

ミーチャ「このムジーク、曲としてもノリノリのディスコソングみたいで気持ちいいよね。あと、チョッちゃんが無音化のせいでモンスターに倒されたのが面白かった。2期16話でも言っているけど、セーブはこまめにね」

 

ナジェ「今作の敵キャラ、三弦さんがただのヤンデレことが判明w バッハ様の音楽で世界を埋め尽くすなんていやだよ。ショパンとリストとOrangestarさんとGuianoさんがいないと私は生きていけないよ。あと、バッハ様のカツラを自らかぶろうとするとは。ピンクのリボンで装飾しているところがなんとも可愛いw」

 

ミーチャ「最後。音羽館を襲撃するバッハ軍団を撃退しようとするクラシカロイドのみなさん。ところがシューさん、なんで人間じゃないなのにバッハ化してるんだよw」

 

 

24話「八音の世界・後編」

ナジェ「普通のバトルものなら、シューさんとクラシカロイド たちとの壮絶バトルが始まるところですが、それをビンタ一つで済ませてしまうのがクラシカロイドクオリティ。

 この回で計2回出てくる、ムジーク百花繚乱でのバッハ軍団撃退。特に印象に残ったのは、ハンガリー狂詩曲で「持ち金全部競馬ですった!」とぶっちゃけるおっさん。このチャンネルには博打は無しだ。あと幻想即興曲で電脳世界に飛ばされるみなさん。どうやって戻すんだよ! 下手したら死人(?)が出るな、この戦い!」

 

ミーチャ「一方、田園で作ったロボでアルケー社のビルへと向かうベトとモツ。

 バッハさんの理想が、「人類全員がクラシカロイドとなり、皆が音楽で会話する世界」ということが判明。この作品のテーマとも言える発想だろうけど、俺は賛成できないな。これ、小松左京「うるさい!」という小説でも同じテーマが掘り下げられている。宇宙人の影響で誰もがメロディをつけて会話するようになった地球で、生まれつきの難聴のため音痴である主人公は苦労の日々を送る。音楽は世界の共通言語と言いつつ。やっぱり言語と同じように、誰もが同じぐらい使えるものではないんだよね。だからフォーマットが変わるだけで、今のコミュニケーション形態の大改革にはならないだろう。

 百歩譲って皆が音楽の天才になり、思うままに感情をメロディで表せるようになったとしても、やっぱり不全は起こると思うよ。日本人である僕らは日本式の六音階で奏でるの? そしたら西洋人とは話が通じなくなりそう。全部を西洋音楽で染めるとしたら、それはエスペラント語を世界公用語にするのと同じような無謀な行為だよ。「誰にでも学びやすい」というのは西洋語話者からの視点であって、日本人にとっては遠く隔たった言語に変わりないんだから。バッハ様は「動物とでも異世界の住人とでも」会話できると言っているけど、だったら尚更だよね。イルカの超音波とかも受容できるの? もし色や匂いを音として捉える宇宙人がいたらどうするのさ?

 まあ、以上の理由で、俺はバッハの思想には肩を持てないな。ロマンは感じるけどね」

 

ナジェ「まあ、それに対するベトとモツの答えは、答えになっていないようなものだけどね。餃子と女の子との遊びを通して音楽を紡ぎ出すほうが、のべつ幕無し音楽の世界よりずっといいっていうのは、音楽を生み出す人間だからこそ言えるものだよ。あなたたち、何か作曲しました? ムジークはノーカウントだよ。だってあれはムジークPたちの努力の産物で、あなたたちはノリと勢いで奏でているだけですからね」

 

ミーチャ「正直、最後の歌苗の答えがなかったら、この番組を神番組とは思わなかっただろう。

 「人々は音楽を湯水のごとく消費している。それは今も昔も変わらない」というバッハの考えは、正鵠を射ていると思う。バッハの時代は音楽は宗教の道具だったし、今は場の雰囲気を作るためのBGMだよね。あれだけ胸をキュンキュンさせる「愛の夢」が生協食堂のBGMに使われているのを聞いて悲しくなったのを覚えているよ」

 

ナジェ「それに対して歌苗は、「音楽は思い出と結びついている特別なもの。それがありふれたものになるのは悲しい」って答えるんだよね。これ、いまの音楽に対する救いの言葉だよ。そう、私も「英雄ポロネーズ」を鬱だった時期に聞いて勇気付けられたり、恋する時期に「高嶺の花子さん」を聞いて主人公と自分を重ね合わせたりと、大切な思い出と結びついている掛け替えのない音楽があるの。多くの人にとって、大切な記憶となれる。それが、音楽の、ひいては芸術というものの意義の一つだと思う。音楽があっても腹は膨れない。でも、心は、それによって大きく支えられる。それを一人の観衆である歌苗に語ってもらえたのは、バッハ様にとってとても嬉しかったんじゃないかな」

 

ミーチャ「この一連の流れが、クラシカロイドをつまらないギャグアニメに失することのない音楽アニメに押し上げたよね。

 そして、三弦さんにバッハがデコピンして一件落着、と思ったら、超展開がくるんだよなw」

 

25話「宇宙からコール」

ナジェ「最終回で張った伏線を最終回で回収するってどうなんだよw って思ったけど、この展開がないと、前述の音楽論が机上の空論になってしまうんだよな」

 

ミーチャ「まず、自分にこそ世界は救えると思っている安定の奏助に吹いたw 地球を滅ぼしかけるなんて、こいつも偉くなったもんだよなあ」

 

ナジェ「バッハがゴールデンレコードの話をし、宇宙人の到来を予感していたことを他のクラシカロイド に告げる。ここだけ見るとバッハさん、思考が電波だな。

 宇宙人に音楽を聞かせる、という展開に持って言ったのはすごくいい。なんだかんだで事実をもとにしているし、音楽も数学と同じく「宇宙の共通言語(異論はあるけど)」っていうことをちびっこたちに示すロマンある流れだよね。それに、世界を巻き込んでしまっているのもいい。そう、世界を救いでもしないと、ただのクズ人間になっちゃうもんな、このクラシカロイドたちw」

 

ミーチャ「渋々バッハへの協力を承知したみんなが、「すべては愛から〜ブランデンブルク協奏曲より〜」のファンファーレのようなメロディーに合わせて、それぞれらしいことを語る。この曲、歌詞が哲学的で好きなんだよね。「誰しも平和を願えど愛に溺れる」とか。

 8音それぞれの語りで印象に残ったのは、チョッちゃんの「人じゃないからいけるかも〜!」。ジョリー回でもわかったけど、とりあえず種族が人間じゃなかったら心が人間でもOKなんだな、お前」

 

ナジェ「これだけでは満足しなかった宇宙人は「アンコール」を叫び、ビルが破壊される大惨事に。最後は奏助と歌苗にも地球を救うの手伝わせるところ、いいね。宇宙船へと飛んでいくロボットアニメ風のアクションシーンに重なるのは、「世界はMUSIC! 〜魔笛より〜」。あの夜の女王のアリアがこんなポップスになるとは。前曲とは打って変わって、モツらしい明るい歌詞とメロディが好き」

 

ミーチャ「そして、高校生2人組が宇宙船に運んだオーディオから流れる、「大宇宙音楽賛歌No.9」。締めにふさわしい曲だね! 歌詞がとにかく素敵。「姿や言葉は違えども、音楽があれば一つになる」とか、「この地球を蘇らせる それはムジーク」とか、さっきあれだけ文句言ったのに、音楽の可能性が無条件で伝わってくる!」

 

ナジェ「タクトを振る8音の映像も圧巻だったね。リッちゃんの「熱いコール、宇宙の愛ね」というセリフに重なって草が伸びるのが好き。あと、「こんな僕でも大丈夫?」というチョっちゃんの上で手を振るジョリー2w うん、大丈夫だよw」

 

ミーチャ「最後に、地球人代表として色紙にサインする神楽奏助。一夜にして地球を滅ぼしかけ救った男なんて、もうそれだけで生きる伝説だよ。奏助」

 

ナジェ「そしてエンディング。旅行に行ったはずのみんながもとに帰ってきてよかった」

 

ミーチャ「全体的に、ギャグがたっぷりなのに、音楽の可能性を色々と教えてくれるいい番組だったね。クラシックの大胆なアレンジという意味でも、バッハの理想と歌苗とのぶつかり合いという点でも」

 

ナジェ「人生を変えた素晴らしい番組をありがとう、クラシカロイド!」