おいでよクラシカロイドの沼

クラシカロイド 感想。私(ナジェージダ)、ミーチャ(相手方)の座談会形式で行います。よろしくお願いします。

またいつか、クラシカロイド ー総括感想、ストーリー編ー

ナジェ「クラシカロイドも、3/22の音楽祭を残して終わりですよ。ええ、終わりです。ワーグナーと奏助好きには申し訳ありませんが、2期の最終3話(最終回は大丈夫)がどうしても好きになれないので、チョっちゃんが漫研のみんなを励まし終わった時点で、私の中のクラシカロイドはほとんど終わったのです……」

 

ミーチャ「ということで、少し早いですが、クラシカロイド全50話を通しての感想を書きたいと思います」

 

 

ストーリーについて

ナジェ「クラシカロイドの話は大きく3つに分かれます。

1.音羽館の愉快な仲間たちがひたすらワイワイやるギャグ回

2.史実ネタや成長物語が絡む準シリアス回

  1. 3物語が大きく動き、秘密が解き明かされるシリアス回

 このうち、2だけが音楽家をモチーフにしたクラシカロイドでしかできないユニークなテーマであり、歴史や時事ネタという現実と密接に接続したある意味「メタフィクション」的な話です。私はただストーリーやキャラクターが面白いだけのフィクションには全く共感できない人間なので、本来の私にとって面白い回は、2に当てはまる全体の5分の1ぐらいの回だけのはずです。しかし、実際は2期初めと後半を除くほぼ全ての回を大いに楽しんで見られました。以下で、その理由を考えてみようと思います。

 

 まず、1のギャグ回。いつもはアニメで全く笑わない私が何度も爆笑してしまい、音楽家が全く関係ない話であることにも不思議と不快感を感じませんでした。それだけ小ネタとキャラクターの動きが面白かったからです。例えば、1期15話でダンボールを頭にかぶった学生たちを率いるチョっちゃんとか、2期15話で生物の限界を超えて二足歩行するドボちゃんとかw ビジュアル的にも話の流れ的にも、ギャグのセンスが非常に良いです。さすがは「おそ松さん 2期」を流行らせた藤田さんが監督をしているだけありますね。ただ、脚本家が毎回違うので、回をまたいで登場人物の行動原理に一貫性を見出そうとすると、どうしても矛盾が気になってしまいます。監督が考え出したAIのプロトタイプがあって(例えば、チョっちゃんは内気とか、モツは無邪気とか)、それを脚本家さんが解釈し直して、話ごとに別のAIの亜種が作られているというイメージで見るのが一番ストレスがないでしょう。要は、考えるな、感じろ!

 

 次に2の準シリアス回。まあNHKの子供番組という大義名分を守るためには欠かせないお勉強要素ですよね。クラシカロイドは基本的に1話完結なのに、史実ネタの扱いがものすごく上手いです。現実の音楽家の「性格」(例えばモーツアルトの下ネタ好き)は、定番ネタを作るための「属性」(モツは「おっぱい」やらピー音やらをよく発する)として組み込んでしまうこの番組ですが、「エピソード」(例えばベートーヴェンの失聴)は、現代風の文脈に置き換えつつ(ベトがギターコンテストに参加した時にブレーカーが落ちて真っ暗になる)、クラシカロイドの音楽家としての成長を促す素敵な「エピソード」に仕上げているのがとてもいいと思います。まあ、史実の恋愛関係がそのまま反映された人生ゲームとか、「エピソード」が「属性」扱いされている例もあるんですけどねw 

 吉本新喜劇などを見ればわかるように、ギャグ物で「属性」を作るのは非常に簡単で、ギャグの量産もしやすくなるのだけれど、あえてそこに逃げずに面白く、最後には感動できる話を作ってくださった脚本家さんたちには天晴の一言を送りたいです。クラシカロイド10人についても、まだ取り上げていない面白い逸話はたくさんあるので、ぜひ3期、4期と続いて、おもしろエピソードを紹介していってください。ショパンの妹の話とか、ベトがインド哲学やっていた話とかね。

 

 最後に、3のシリアス回。これについては、1期は最高で、2期は私の好みではなかったです。

 要約すると、1期は「音楽を世界の共通言語にし、音楽第一の世界を創造する」という理想を持つバッハと、彼を狂信する三弦の暴走を、「音楽は自由だ」という考えを持つベトモツが止めに行き、最後に宇宙人と音楽で通じ合う話。2期は、ムジークを使えない「出来損ないのクラシカロイド」と言われ、父親への承認欲求をこじらせて自分の世界に閉じこもったワーグナーを、「姉」の歌苗が救いに行く話。つまり1期は「音楽の普遍性と波及性」という深いテーマについて語るマクロな話だったのに対し、2期は一人の少年の心情を掘り下げるミクロな話だったということです。

 私はフィクションとは、現実世界のなにがしかについて語る「論文」の一形態だと考えているので、正直お話の中のAさんやBさんが何を思おうがこれっぽっちも興味ありません。そのAさんやBさんの心の動きに、今を生きる私たちの心と共通する部分があって、その物語を味わうことで、現実での生き方のヒントが得られる……それこそがフィクションの醍醐味だと思うのです。

 1期のラストは、「喫茶店のBGMやらYoutubeやらで、音楽が特にありがたみもなく氾濫している時代に、私たちはどう音楽を生み出し、味わって行けばいいのか」ということについて、色々考えさせてくれるものでした。また、クラシック音楽の多種多様なアレンジである「ムジーク」と、その「ムジーク」を使って宇宙人と仲良しになれる、という展開は、音楽の無限の可能性を私に痛感させました。そうです、面白いギャグもいいけれど、音楽家が出る話だもの、こういう音楽の存在を肯定するような話を待ち望んでいたのです。私はバッハ様の理想にもベトモツの考えにも全面的に賛成はできませんが、こういうテーマについて考える機会を与えてくれた3人には、感謝してもしきれません。ぜひとも今後も活躍してください。

 それに対して、2期のラストは、私の嫌いな「AさんがBさんと喧嘩して悲しくなって云々」のような自己完結的な話でした。若干「エヴァンゲリオン」のラストに雰囲気が似ていましたが、あっちはエディプスコンプレックスなど、人間の普遍的な心理を深く分析していて非常に面白かったです。また、シンジくんは一人の生身の中学生であり、エヴァンゲリオンパイロットという特殊な状況下にあるとはいえ、父親との対立や母親への思慕という、中学生が無意識下に必ず経験する感情を伴っていますからね。しかしこちらは、確かに「承認欲求」は普遍的な感情ではあるものの、それを抱く人が「ムジークという超能力」が使えないことに悩んでいる「人造人間」であることが、共感を妨げています。一般人にとって超能力が使えないことはなんの悩みでもないわけですから。まだここで、ワー君や歌苗の心情が丁寧に描かれていればよかったのですが、ワー君は相撲回限定であっさり音羽ロイドたちと仲良くなり、歌苗は不自然にワー君にデレデレしたり、ダメな母親に辟易しながらもあっさり許したりと、「あれ?」と思うような心理描写が続いてしんどかったです。ワー君の夢小説や過剰宣伝のように、「承認欲求」という重いテーマさえギャグワールドに侵食されている部分もあり、しかもテーマがテーマゆえに素直に笑えないという、一体お前は何をしたかったんだ的な話になってしまったのも失敗点と言えましょう。 

 以上により、もし3期があるのならば、話は宇宙規模のマクロな話にしてほしいし、もしミクロにするなら心情描写は丁寧にして。ギャグと切り分けてもらえると嬉しいです」